<番外>

鬼城山(きのじょうざん)

2004年9月5日

早朝発で鳥取を歩く予定だったが雨で中止、雨があがったので近燐の鬼ノ城へ

西門(復元)

鬼ノ城は吉備高原南端に位置する標高約400メートルの山上に築かれた古代山城
眼下に吉備平野、遠く瀬戸内海や四国を望むことができる。
築城の時期は5世紀〜7世紀と諸説あるそうだが663年大和朝廷が白村江の海戦に大敗した後、唐、新羅の侵攻を恐れ
西日本各地に築城した城のひとつと考えられている。

山容は擂鉢を伏せたような形で8合目付近に土塁が主体の城壁が築かれ全周2.8キロ
城門4箇所、水門6箇所、石垣などで構成された朝鮮式山城。
現在発掘調査、復元整備が進行中。




北門近くにはコウヤボウキがひっそりと咲いている。


温羅遺跡からの展望
崖下から吹き上げる風と直下を流れる血吸川のせせらぎの音が涼を運ぶ


温羅と血吸川の伝説 1>
温羅は百済の技術集団を率いて渡来し吉備の国に「たたら製鉄」をつたえた百済の王子といわれ
吉備に大きな繁栄をもたらし人々にしたわれた。
しかし中央集権を進めていた大和朝廷は吉備の繁栄を恐れ
吉備津彦命を退治のためにさしむけ鬼ノ城にこもった温羅を討った。
この時、傷ついた温羅の目から流れた血が川を赤く染め血吸川といわれるようになった。

そして桃太郎伝説では・・・

温羅と血吸川の伝説 2>
吉備の人々を苦しめる暴れ者の温羅を退治するためさしむけられた吉備津彦命は
矢戦で投石で応戦する鬼ノ城の温羅と戦った。しかし矢は石にあたって落ちてしまう。
矢が落ちたところが「矢喰宮」。そこで2本一度に放つと1本が温羅の左眼にあたりその血の流れが
「血吸川」となり血で赤く染まった土地を「赤浜」とよんだ。鯉に変身し血吸川に逃げた温羅をおって
命は鵜となりついに平らげたところが「鯉喰神社」となった。




屏風折れの石垣

礎石建物群

巨石に彫られた千手観音

列石
城内の道は起伏に富む



南門
石に柱の穴が開けられ往時をうかがえる。
門の下はいずれも絶壁で外敵に備えている。



鬼ノ城の道で出あった野草など
ハギ ゲンノショウコ クズ


そしてはやくも・・・



ヒガンバナ


さとやま