きょうの里やま

”井原線を行く”

9回目  May. 2

湯野(湯野駅)〜神辺(神辺駅)

五月晴れの午後、井原線の終点神辺へ向かう。
里やま歩きというよりはかつて山陽道の宿場町として栄えたという神辺散歩をのんびり楽しもう。

一つ手前の湯野駅横の水路にそって南下すると高屋川沿いにでる。
田には水が張られそろそろ田植えの準備がはじまっている。




高屋川河川敷はまばゆい緑
川面にはカルガモやコガモの姿がみられた。
風に吹かれて川沿いを行くと対岸に菅茶山が開いた廉塾の大楠が見えてくる。

 



廉塾
漢詩人の第一人者といわれた菅茶山によって開かれた私塾「黄葉夕陽村舎を前身とする福山藩校の分校で
塾では菅茶山とともに塾頭(頼山陽もその1人)によって中国の古書の講釈がなされ10代から20代の塾生が
身分を越えて集り、寄宿生活をしながら学んだ。

菅茶山は1748年神辺宿七日市の東本陣、菅波家に生まれ、19歳で京へ遊学、朱子学、医学などを学んだ後
困窮していた郷里で有能な人材育成と世のたてなおしを願ってこの私塾を開いたと言われる。

(パンフレットなどより)

門をくぐると菜園が広がり養魚池もある。 寄宿舎と菜園

畑を埋め尽くす芝桜が美しい。
アオスジアゲハやアゲハチョウが飛びかっていた。

居宅(左)と講堂(右)前を流れる水路で筆や硯を洗ったといわれる


<旧道沿い>
山陽道の宿駅らしく当時の名残か古い家並が残っている。
木格子の入った家や蔵を持った家も多い。


神辺本陣



筑後約250年の建物
札の間と呼ばれるところには天井近くにたくさんの関札が並べられていた。
関札は説明によると宿泊の前に3枚の関札が運ばれ、前後の国境におかれ、一枚は本陣の門にかけられたそうで
出立の時はそのうちの1枚が残されたので今に残っているとのこと。


国道313号沿いの天別豊姫神社
背景の山は黄葉山でかつて神辺城があった。



本陣を過ぎ駅に向かう途中にあった歯科医院
まだ開業しているのであろうという感じがした。


神辺駅も近い

神辺では地域性だろうかボランティアの方や道を教えてくれた方など親切な人々に出会えたのが嬉しかった


帰りの車窓から麦畑
真冬から始めた井原線ウォークも本日で終り







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