〜武蔵の里〜

1月29日

美作市大原(武蔵の里)を行く

平成17年に合併により誕生した岡山県美作市は岡山の北東部兵庫県境にある。

智頭線宮本武蔵駅から「武蔵の里」、釜坂峠、竹山城址、旧因幡街道を大原駅まで
約9.5キロを歩くことにした。



武蔵の生国について、五輪書によれば「播磨」とある。

その養父、新免無二ゆかりの地であるところから美作生国説は19世紀になって出てきた説とされている。
すべて数少ない史料からであり史実は疑わしいが
それはともかく、吉川英治版「宮本武蔵」の世界をあるき剣豪への思いをふくらまそう。
宮本武蔵駅・・・人名がついた駅とは珍しい
作州宮本村とはいいひびきだ!
駅前広場

武蔵の里へと歩く。昨年暮からの雪がふるい家並みにかぶさっている。

讃甘(さのも)神社
幼少の武蔵がこの境内で遊んだとされ
神主の太鼓のバチさばきから二刀流を考案したと
地元ではいわれている。
武蔵生誕地碑と武蔵宅跡
この辺りへ来るといよいよ観光地。
しかし、熱いお茶を振舞ってくれたりと地元の人情は豊かで心地よい。
武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先
カヤブキ屋根の横にそびえて枝を伸ばすのは
樹齢450年のタラヨウの木
史実はともかくこれこそ本物
無二斎、政の墓のとなりに養子伊織が建てたという
武蔵の墓碑
後方は武蔵神社
これとて昭和46年に建てられたもの。

ここから兵庫県佐用町へと通じる釜(鎌)坂峠への道を歩く。今日は雪道だ。

上意討ちにより無二斎の手にかかって
切腹した本位田外記の墓碑
上意討ちにより墓碑銘は無い。

このことが原因で無二斎もまた郷里に居づらくなったようだ。
一貫清水
武蔵が修行の旅に出る時、竹馬の友、森岩彦兵衛と
別れを惜しんで飲んだと言われる湧き水、
旅人に「一貫文の値打ちがある」といわせるほどの
冷たく美味しい水だったようだ。
ちょっと飲んでみたが今はそうでもない・・・

吉川英治が「山また山という言葉はこの国においてはじめてふさわしい」と書いた景色をみながら峠を目指す。
この道は、後醍醐天皇が隠岐を出て、京へいそいだコースとも伝えられ
江戸期には鳥取藩池田侯の参勤交代の道でもあったらしい。道幅もあり
雪道とはいえ歩きよい整備された道だった。峠からの展望はなかったが竹が美しい。






武蔵里へと戻り、竹山城址へとあるく。


途中、吉野川から武蔵の里を振り返る。



山々の向こうに雪をかぶった後山(どれがその頂上なのかは?)などの山並みが美しい。



山道を行くと着くはずの城跡・・・頂上近くまで行ったはずだが結局倒木にじゃまされ行き着けず
また雪道を引き返す。(>_<) 地元の方が教えてくれた広い回り道を行くべきだったか・・・

竹山城址はあきらめて因幡街道へ・・・
歩くこと4キロ

大原駅周辺の旧因幡街道の町並みは往時の宿場町(古町宿)の雰囲気を残している。

大原本陣 脇本陣


智頭線 大原駅
冬のせいだろうか?利用客は少ない


さとやま