宮本武蔵駅・・・人名がついた駅とは珍しい。 作州宮本村とはいいひびきだ! |
駅前広場 | ||
武蔵の里へと歩く。昨年暮からの雪がふるい家並みにかぶさっている。 |
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讃甘(さのも)神社 幼少の武蔵がこの境内で遊んだとされ 神主の太鼓のバチさばきから二刀流を考案したと 地元ではいわれている。 |
武蔵生誕地碑と武蔵宅跡 この辺りへ来るといよいよ観光地。 しかし、熱いお茶を振舞ってくれたりと地元の人情は豊かで心地よい。 |
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武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先 カヤブキ屋根の横にそびえて枝を伸ばすのは 樹齢450年のタラヨウの木 史実はともかくこれこそ本物 |
無二斎、政の墓のとなりに養子伊織が建てたという 武蔵の墓碑 後方は武蔵神社 これとて昭和46年に建てられたもの。 |
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ここから兵庫県佐用町へと通じる釜(鎌)坂峠への道を歩く。今日は雪道だ。 |
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上意討ちにより無二斎の手にかかって 切腹した本位田外記の墓碑 上意討ちにより墓碑銘は無い。 このことが原因で無二斎もまた郷里に居づらくなったようだ。 |
一貫清水 武蔵が修行の旅に出る時、竹馬の友、森岩彦兵衛と 別れを惜しんで飲んだと言われる湧き水、 旅人に「一貫文の値打ちがある」といわせるほどの 冷たく美味しい水だったようだ。 ちょっと飲んでみたが今はそうでもない・・・ |
吉川英治が「山また山という言葉はこの国においてはじめてふさわしい」と書いた景色をみながら峠を目指す。
この道は、後醍醐天皇が隠岐を出て、京へいそいだコースとも伝えられ
江戸期には鳥取藩池田侯の参勤交代の道でもあったらしい。道幅もあり
雪道とはいえ歩きよい整備された道だった。峠からの展望はなかったが竹が美しい。
峠
武蔵里へと戻り、竹山城址へとあるく。
途中、吉野川から武蔵の里を振り返る。
山々の向こうに雪をかぶった後山(どれがその頂上なのかは?)などの山並みが美しい。
山道を行くと着くはずの城跡・・・頂上近くまで行ったはずだが結局倒木にじゃまされ行き着けず
また雪道を引き返す。(>_<) 地元の方が教えてくれた広い回り道を行くべきだったか・・・
竹山城址はあきらめて因幡街道へ・・・
歩くこと4キロ
大原駅周辺の旧因幡街道の町並みは往時の宿場町(古町宿)の雰囲気を残している。
大原本陣 | 脇本陣 |
智頭線 大原駅
冬のせいだろうか?利用客は少ない。
さとやま