大山山麓を歩く(2)

2009年10月4日

大山裾野に広がる広大な田園地帯を溝口町(伯耆溝口駅)から米子市(伯耆大山駅)へ歩いた。

(伯耆溝口駅)〜大平原〜林が原〜番原〜須村〜下槙原〜1の谷〜尾高〜一本木〜(
伯耆大山駅)

2004年には金屋谷に向って大山を正面に見ながら車道を登り左折してペンション村を抜けた後に
須村へ向ったのだが、今回は田園地帯の真っ只中を歩こうと思い地図を見ながら、コースを選びつつの歩きとなり、
くねくねと蛇行しながら登っていったので以前の道に合流するまでに5〜6キロは多く歩くことになり
5時到着予定が6時の到着となった。26キロ強の歩きで
足は限界というほど疲れたが、1日遅れの中秋の名月が山の間から登ってくるのを見ることができた。



大山は見る方向で同じ山とも思えないほどに姿を変える。
冨士に似た穏かな姿から、山岳らしいという点で私の好きな急峻な姿へと変化していく。
今回はその変化を追いつつの歩きとなった。


大平原から



番原から



下槙原から



米子市の尾高から



〜田園で〜


なつめ

木の実をつんでいる農家の方が「食べてみるかい!」と差し出したのがキウィよりひとまわり小さい実。
かじってみると酸っぱくないリンゴといった味がした。さっぱりとしていた。
名を聞くと「ナツメ」とのこと。大平原への道も丁寧に教えてくださる。




サツマイモの収穫



大平原で。





林が原で
ツリフネソウ、フウロケマン、ミゾソバのお花畑


番原で


番原から先日は車で訪れた植田正治写真美術館の前をとおり、須村へと登る。
広域農道でもあり、中国自然歩道となっている道へと左折、ここからはひたすら歩く。
途中、下槙原ではイーゼルを立て、絵具のついたエプロンをした年配の画家?にであう。
岸本町から大山町、一の谷へと黙々と歩き、精進川を渡るところから米子市にはいる。
振り返る大山はそろそろ夕陽に染まっている。


尾高城址のそばをとおり、米子I.C.を渡る頃には赤い夕日が沈む。
暮れたからだろうかここからが意外と遠く感じる。
駅は地図上では近いはずだし線路も見えるが、人家のある複雑な道をどういっていいやら〜〜〜
今は車の時代ということなのか.駅への道標が何処にも見当たらない。
ここで先ずは小学生、中年男性、高齢男性に聞いてみる。みな丁寧に教えてくれる。
最後に教えてくださった高齢の方は車でゆっくり伴走してついてきて教えてくれる。
山陰の人たちの親切が嬉しい。


駅の手前より



よく歩いた。駅の待合室で飲んだカルピスの美味しかったこと。



2008年からはじめ、中断していた今回の伯備線沿いさと山歩きも次回はいよいよ最終。
’日本海へ’となった。

さとやま