中国三十三観音霊場 (1)岡山県




1、西大寺

TV中継でしか見たことのない裸祭り。思った以上に境内はせまくここであの男たちの戦いが繰り広げられるのだと思うと不思議な感じがした。
今回は、千手観音を祀る本堂の納経所で朱印を頂いた後、本堂内を見せていただいた。特に興味深く拝観したのは宝木を投下するという窓と本堂の裏手、山の守護神、牛玉所大権現と金毘羅大権現が合祀された鎮守堂だった。裸祭りは、この牛玉信仰に基づくことを初めて知った。

概要 創建:天平勝宝3(751)年  開祖:安隆正人  宗派:真言宗  本尊:千手観世音菩薩

仁王門 本堂
三重塔 牛玉所殿


西大寺縁起
天平3年、藤原皆足姫が観音菩薩の妙縁を感じ、金岡の庄に草庵を結び千手観音を祀ったというのに始まる。
宝亀8年、長谷寺の安隆上人に、夢の中で「備前金岡の庄に観音堂を修築せよ」とのお告げがくだり、その道中に出会った龍神より犀角を渡され、其れを鎮めた聖地に観音堂を建立、「犀戴寺」とした。
時は下り、後醍醐天皇時代に「西大寺」とあらためられた。
裸祭り

牛玉とは仏教世界で宇宙の万物を生みだすとされる摩尼宝珠を意味し、紙に「牛玉、西大寺、寶印」とかかれた守護札をさす。奈良時代より行われていた新年の14日間の大祈祷〈修正会)の後、信徒に授けられていたこの守護札はやがて希望者が続出。奪い合いとなったため、1510年より紙を木の札(宝木)に巻きつけ信徒の頭上に投与するようになった。・・・というのが・裸祭りの由来であるようだ。
本堂には宝木を投下するための「御福窓」があり、見学すると開けてみる事もできる。   

(以上 パンフレットより抜粋)







2、餘慶寺

西大寺とは吉井川を挟んだ対岸に位置し、川の流れを見下ろす小高い山の上にある。
境内には東向きの観音堂、三重塔、薬師堂、地蔵堂、鐘楼、などの堂宇が伽藍を連ねており、思った以上の立派な寺であった。また、手入れの行き届いた蓮や睡蓮が美しい花を咲かせていた。

概要 創建:天平勝宝1(749)年  開祖:報恩大師  宗派:天台宗  本尊:千手観世音菩薩(東向観音)

三重塔と薬師堂
熱帯睡蓮 観音堂と三重塔

縁起
天平勝宝元年(749)報恩大師による開山。往古には日待山日輪寺と称して備前四八ヵ寺の一つとして栄える。平安時代、慈覚大師が再興,本覚寺と改め、藤原鎌足の母、海上人の菩提を弔うため薬師三尊を泰安、自ら一刀三礼の千手観音像(東向き観音))を刻み本尊とした。その後、近衛天皇時代に上寺山餘慶寺と改められ、江戸期には池田藩の保護を得て栄えた。
塔頭はかつては七院十三坊(六院が現存)あり、さらに山内は豊島北島神社と隣接、神仏習合の姿を遺している。

文化財
国指定:本堂(室町時代) 薬師如来像、聖観音像、
県指定:十一面観音、梵鐘、三重塔
市指定:鐘楼(室町時代)


(以上 パンフレットより抜粋)







3、正楽寺

岡山ブルーラインを蕃山JCで降りる。暫し北へ進むと道標があり右折
この辺りを蕃山村と言ったのは池田光政の側近にして儒学者の熊沢蕃山に由来する。その屋敷跡が寺の西側にある。
寺の周辺はうっそうとした杉木立で森閑とした雰囲気に包まれている。思っていた以上に立派な山門がその木立の奥に姿を現す。見事な彫刻がなされた棟板に見入り、門をくぐると正面の本堂、右手の鐘楼ともに美しい建築物だ。

本堂、大師堂、書院、客殿、と軒を連ね、江戸時代に池田藩の祈祷所として重んぜられた面影を残している。

納経所で住職さんから寺の話、建物の話など興味深くうかがう。時々静寂を破る列車の音はすぐ近くを走る新幹線のようだ。境内を一巡後、庭園にも入れていただく。客殿の唐風屋根もなかなか趣があった。

概要  創建:天平勝宝一(749)年  開祖:報恩大師  宗派:真言宗  本尊:十一面観世音菩薩


仁王門 仁王門棟板彫刻
鐘楼 本堂と大師堂
仁王 庭園と鐘楼

縁起
天平勝宝年中(749〜757)報恩大師による開基で、当時は勝楽寺といった。
鎌倉時代(1304)信賢上人により、この地に伽藍が建立され日光山正楽寺とした。江戸時代(1615)の大火災によりことごとく灰燼と化したという建物だが、本堂、書院は1704年から10年を、仁王門は1810年から7年かけ、通算100余年かけて復元を見たということだ。特に仁王門の「雲と波」は見事な彫刻美術で鎌倉時代の面影をのこしている。







4、木山寺

落合インターで高速道路を下り、国道313を木山神社の表示を頼りにすすむ。標高430mというだけに、急坂を登ることとなる。今回は車だが季節がよければ歩いて登るのもいいだろうと思える桜並木の参道だ。
沢山のアジサと白い睡蓮が迎えてくれる境内は老杉がそびえ、緑深い古刹の風情である。日本古来の形式を残す神仏集合のたたずまいで、真言宗の寺ではあるが鳥居をくぐって入る本堂内には稲荷が祀られている。
納経所におられた僧と話が弾み、この地がよく霧に包まれることや、落雷が多くしたがって何度も火災にあったことなどをうかがう。今は緑が美しい本堂前のもみじが色づくころ、再訪したいと思える寺であった。

概要  創建:弘仁6(815)年  開祖:弘法大師空海  宗派:真言宗  本尊:十一面観自在菩薩


睡蓮池 鐘楼
山門(不老門) 本堂

縁起
815年、美作を訪れた弘法大師は薬師如来の化身である翁に導かれこの地に寺を建立したと伝えられている。9世紀中ごろには鎮護国家の勅願寺となり、赤松、毛利、尼子などの戦国大名の信仰を集めた。

木山寺の神仏
本堂正面の額に刻まれている二神
牛頭天王は薬師如来の化身、善覚稲荷大明神は十一面観音の化身であってこの寺が神仏習合の伝統がなお継承されていることがわかる。明治になって神仏分離政策により木山寺、木山神社に分かれたがもとは木山宮として長く信仰を集めていた。今も寺の前には天正9年(1581)建立の木山宮本殿がたたずんでいる。






誕生寺

法然上人誕生の旧邸を寺院に改めたという美作の誕生寺を訪ねるのは三回目になるだろうか・・・上人が15歳に旅立つ際、那岐の菩提寺の銀杏からできた杖を地に挿したところ根が逆さに延びたと伝えられる天然記念物見たさに尋ねたのが最初だった。方丈の庭園や上人産湯の井戸など興味深く拝観したのを思い出す。

概要   創建:建久4(1193)年  開祖:熊谷蓮生法師  宗派:浄土宗  本尊:聖観世音菩薩

本堂、観音堂(左) 方丈庭園
逆木の公孫樹(天然記念物)

縁起
浄土宗開祖、法然上人誕生の地
建久4年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が上人誕生の旧邸を寺院に改めたに始まる。






5、法界院

岡山市内にあり、半田山植物園の隣に位置しているので何度か近くを通ったが境内に入ったのは初めてだった。山門をくぐりさらに階段を上ると二天門がある。
建物は、客殿、書院、本堂、大師堂、鐘楼と並び、観音堂がその手前に位置している。
寺の後方には広大な墓地が広がり、寺の奥さまは歴代住職の墓所に1時間かけてお参りするのを日課にされているのだと気さくに話された。

概要  創建:天平年間(729)年頃  開祖:報恩大師  宗派:真言宗  本尊:聖観世音菩薩 


山門(江戸時代) 二天門(江戸時代)
本堂(1855年建立)、右、木立の向こう大師堂 鐘楼

縁起
天平年間、749年ごろに報恩大師による開基。
本尊、聖観音像は聖徳太子作とも言われるが、平安時代初期の作で国の重要文化財とされている。桧の一木造で彫りは浅く簡素だが胡粉が残っていることから彩色されていたと思われるそうだが、これもまた秘仏であった。
江戸時代前期、傳蕃大和尚が堂宇を再建,寺風を中興し、池田公の篤い帰依があった。

二天門には平安時代作の毘沙門天、持国天があったが今は本堂に祀られているそうだ。






6、蓮台寺

瑜伽大権現蓮台寺は児島半島の海抜300m、由加山にある神仏混淆の権現様である。
毎年正月、厄除祈願に訪れるのが岡山に越してからの慣例になっているのだが、いつのころからか、寺と神社はそれぞれに独立し、蓮台寺総本殿と由加宮に分かれたようだ。

境内には客殿、権現堂、大師堂、観音堂、多宝塔、鐘楼堂、大日堂、など多くの建物が点在。平成10年完成の総本殿に本尊の十一面観音、瑜伽大権現、弘法大師が祀られている。

今回は、観音霊場ということで、蓮台寺の総本殿を訪ねた。2階にある本殿では若い僧から仏の化身である権現様とは何ぞやとか、瑜伽とはヨーガに通じるといった、丁寧な説明を受ける事が出来た。
ふるまわれたお茶も薬草にちょっと塩分が効いていてこの季節にはありがたかった。

概要  創建:天平5(733)年  開祖:行基菩薩  宗派:真言宗  本尊:十一面観世音菩薩



奥の院
奥の院からの蓮台寺(右に総本殿、左の大屋根は客殿)

縁起
天平5年(733)行基によって開かれ、阿弥陀如来、薬師如来の二尊を瑜伽大権現としておまつりしたのが始まり。
室町時代、増吽僧正が中興。現在の伽藍が整備されたのは江戸時代。
備前藩、池田継政以降、藩の祈願所として藩主自らが参拝したため、宿所としての客殿は菊花紋章入りの筋塀にかこまれた堂々とした建物で、内部には上段の間があり、円山応挙画の襖絵をはじめ重要文化財がある。






7、円通寺

瀬戸内海を望む倉敷市玉島柏島の白華山の山腹に位置する。
巨石を配した見事な庭園から奥に進むと、まず目に入るのは22歳から十数年にわたりこの寺で修行したという良寛の托鉢の像。その右手に茅葺きの大屋根が荘厳な雰囲気をたたえる本堂。背後に座禅道場白雲閣、左手には黄土色の壁が周囲の緑に映える友松亭,その奥にやはり茅葺の良寛堂が建ち並んでいる
僧侶の好意で本堂の中に入れていただくと厚さ1mはあると思われる茅葺き屋根の堂内はさすがに涼しく、座禅道場でもあった本堂内の説明に聞き入る。
小さな木像ではあるが行基が彫ったと伝わるこの寺の本尊、聖観世音菩薩を身近に拝見。
秘仏が多い中、常に拝見できるというのは珍しい。
本堂から出て、堂宇背後に広がるコケの美しい山内を散策。上から見下ろす大屋根は堂々として周りの緑と見事に一体化している。

概要  創建(中興):元禄年間(1688頃)  開山:徳翁良高  宗派:曹洞宗  本尊:聖観世音菩薩



良寛堂

上から見た堂宇
本堂と良寛像
友松亭 入り口庭園

縁起
白華山には「星裏観音」と言われる行基菩薩作[伝]の聖観音菩薩が祀られ、観音霊場として天平の昔からその信仰があった。中世には荒廃したが、江戸時代になり、水谷氏による新田開拓が進み玉島湊が発展した元禄年間には再興の機運が高まり町民の連判状によって寺社奉行に嘆願ついに元禄11年(1698)堂宇の再建。良高禅師を開山として、補陀洛山円通庵が開創、その後、寺号、円通寺と改められ、備中の永平寺派中心道場として栄えることとなる。
全国から、修行僧が集まったが、1779年、国仙禅師を慕って、越後より来たのが良寛禅師である。(22歳から38歳まで修行した)

また、十一世玄透即中禅師は永平寺五十世となって正法眼蔵の刊行を完成した。





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