7、円通寺
瀬戸内海を望む倉敷市玉島柏島の白華山の山腹に位置する。
巨石を配した見事な庭園から奥に進むと、まず目に入るのは22歳から十数年にわたりこの寺で修行したという良寛の托鉢の像。その右手に茅葺きの大屋根が荘厳な雰囲気をたたえる本堂。背後に座禅道場白雲閣、左手には黄土色の壁が周囲の緑に映える友松亭,その奥にやはり茅葺の良寛堂が建ち並んでいる
僧侶の好意で本堂の中に入れていただくと厚さ1mはあると思われる茅葺き屋根の堂内はさすがに涼しく、座禅道場でもあった本堂内の説明に聞き入る。
小さな木像ではあるが行基が彫ったと伝わるこの寺の本尊、聖観世音菩薩を身近に拝見。
秘仏が多い中、常に拝見できるというのは珍しい。
本堂から出て、堂宇背後に広がるコケの美しい山内を散策。上から見下ろす大屋根は堂々として周りの緑と見事に一体化している。 |
概要 創建(中興):元禄年間(1688頃) 開山:徳翁良高 宗派:曹洞宗 本尊:聖観世音菩薩
|
 |
|

良寛堂

上から見た堂宇
 |
本堂と良寛像 |
|
 |
|
友松亭 |
|
入り口庭園 |
縁起
白華山には「星裏観音」と言われる行基菩薩作[伝]の聖観音菩薩が祀られ、観音霊場として天平の昔からその信仰があった。中世には荒廃したが、江戸時代になり、水谷氏による新田開拓が進み玉島湊が発展した元禄年間には再興の機運が高まり町民の連判状によって寺社奉行に嘆願ついに元禄11年(1698)堂宇の再建。良高禅師を開山として、補陀洛山円通庵が開創、その後、寺号、円通寺と改められ、備中の永平寺派中心道場として栄えることとなる。
全国から、修行僧が集まったが、1779年、国仙禅師を慕って、越後より来たのが良寛禅師である。(22歳から38歳まで修行した)
また、十一世玄透即中禅師は永平寺五十世となって正法眼蔵の刊行を完成した。 |

|