縁起
聖徳太子の父、用明天皇の勅願で創建された真言宗の古刹。
用明天皇の后として上がるはずだった豊後の国の満野長者の娘、般若姫の菩提を弔うために建てられた寺。般若姫は、先に都に上った用明天皇のもとに向かう途中、大畠灘で嵐に遭い、皆を守るため海に身を投じたといわれ、その際、西の峰を指して願った遺言「彼の峰に喪ってほしい」に基づき建てられたのが般若寺建立の由来である。この悲劇は「般若姫伝説」として今に語り継がれている。後に用明天皇の御陵もここに移された。
般若姫の亡骸と用明天皇の遺髪が納められている用明天皇・般若姫の御陵のそばには、聖徳太子鞭(むち)の池がある。その昔、聖徳太子が用明天皇のお墓参りに来たとき、供える水がなく、そこで、地面を鞭で突いたところ、清水が湧き出てきたという言い伝えのある池。
寺宝として鎌倉時代に造られた銅鐘や、般若姫由来記三巻、用明天皇の勅額などがあり、なかでも銅鐘は建長7(1255)年鋳造の銘があり、山口県の有形文化財に指定されている。
歴史
恵慈和尚による開山以来1400年が経過する。第九代住職に弘法大師の弟、真雅和尚を迎えてから真言宗となる。
大内氏、毛利氏の保護を受け一山、百二十ヵ寺という末寺を持ち、大いに栄えたが、江戸時代に大火災のため多くを焼失した。
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