〜9日〜

世界文化遺産見学


いよいよ待望の世界文化遺産見学です。
マカオは東洋と西洋が行き交い歴史ある町並みと現代が混ざり合う街、
そこにはのんびりとしたやさしさと懐かしさがあり、香港とはひと味違った不思議な魅力を持っている。

ポルトガルがマカオ進出を始めてから400年以上が経った。
1999年12月20日マカオも中国への返還の日を迎え、400年以上に
わたったポルトガルによる統治の時代は終わり、「中華人民共和国墺門特別行政区」となった。
南欧の雰囲気あふれる旧市街や、清時代の建築様式が残る繁華街のそぞろ歩き、リゾートライフを
楽しめる島部、ポルトガル料理とワイン、グルメなどマカオならではの楽しみがいっぱい。
2005年には、22の歴史的建造物と8ヶ所の広場を含む
歴史市街地区が世界文化遺産に登録された。



・媽閣廟(マーゴッミウ)
マカオの街が形成される前からあったといわれるマカオ最古の寺院。
明朝(1368年〜1644年)の初期に福建省からやって来た漁民によって建てられたと言われている。
境内にある4つの廟のうち3つは、船員や漁師の守り神である。(此方の金比羅さん)
中国語の発音「マアコウミウ」が変化してマカオになったなど地名の起源とする説がある。



向いに見える島が中国 泳いで渡れる・・・とガイドさん



モンテの砦 
1617年から9年かけてイエズス会の修道士によって建てられた高さ53mの砲台。
1622年にはオランダ艦隊を撃退。 砦の大砲は海向きの3方にあって、中国本土側に
向いていないのは、当時から中国と戦争を行う意志はないことを表すためだった。
南シナ海まで見渡せる絶好の展望台だ。中央の建物特異な形状のグランド・リスボン。
タワーはハスの花を摸している。




聖ポール天主堂跡  
マカオの象徴ともおわれる威容は圧倒的な存在感。この「天主堂」は
17世紀初頭に建てられたイエズス会教会で、当時は東洋一の壮大な教会だったといわれている。
ポルトガル人だけでなく長崎を追われた日本人キリシタンたちも加わって、
20年余りの歳月をかけて建造された。今のように建物正面に壁と階段の
ファサードだけになったのは1835年に起こした隣の学校からの火事の飛び火が原因。
残っている壁面には、キリスト少年像、ザビエル像のほか、当時日本人が書いたといわれる漢字の文字が残る。
聖母マリア像の周りに彫られた菊は日本を、
牡丹は中国を表しているといわれている。
壮麗なファサードはマカオを象徴する街の祭壇のような存在で
マカオのシンボル。

 


ナーチャ廟 
1888年に神童ナーチャを祀るために造られた寺院。
この小さな中国の古廟はイエズス会のシンボルである聖ポール天主堂跡のすぐ裏手に立地
しているが、対照的なしずけさ。その立地関係はマカオの東西文化交流、宗教の自由を最もよく表した事例です。
横の壁も世界遺産 
旧城壁 1569年に街を守るためにつくられた、この壁は、ポルトガル人がアフリカやインドで行ってきたように、
彼らの居留地を守るために造った城壁の名残です。マカオの場合はこの壁が「シュウナンボー」と呼ばれる土砂、
わら、牡蛎の貝殻で造られた建材を何層にも重ねて造られたことから、地元の技術や素材の中にも
東西文化の融合を見ることが出来ます。



聖ドミニコ教会の優美な外観
 

聖ドミニコ教会  
メキシコのアカプルコ出身の3人のドミニコ会修道士
により17世紀に建てられた。
聖ドミニコ教会は、クリームイエローの壁に白い化粧漆喰の繊細な装飾、
深緑色のドアと窓の鎧戸が印象的な、マカオで最も美しいといわれている教会。
礼拝堂の内部もクリームイエローに塗られ、明るく清潔感漂う。
正面の華麗な祭壇には彩色された聖母子像が祀られ、祭壇の下方に
描かれた白と黒の十字は、ドミニコ会の紋章。天井にはA.M.(アベ・マリア)の
文字をモチーフとした美しいエンブレムが描かれている。
繁華街にそびえ建つ、優美豪華なバロック様式の教会



セナド広場から聖ポール天主堂跡まで続く歩道は、ポルトガルの熟練工により波形模様の
石のモザイクが敷き詰められています。




手前白い建物 仁慈堂 セナド広場に面して建つ歴史的建造物
セナド広場に面して建つ純白の外観が目を引く。 1569年にマカオ初代司教によって、
アジアで最初の慈善福祉活動の施設として、ポルトガルで最も著名で歴史ある慈善団体の
建物をモデルにして建立されました。仁慈堂はマカオにおける最初の西洋式病院と、今でも
運営されている慈善福祉施設の創設に参与しました。建物は新古典様式ですがマヌエル様式の影響も受けています。
2階の博物館では、宗教関連の史料のほかに陶磁器なども展示している。



民生総署大楼 
マカオの最高行政機関を兼ねる立法議会の議事堂。もっともポルトガル的な
建造物といわれる。ホールや階段は飾りタイルを使用。広場はイベント準備中でした。




マカオ半島からタイパ島へ

午前中の世界文化遺産の見学が終わり午後は西湾大橋を渡ってタイパ島へ


マカオ・・・二国の文化が溶け合う街
アジアの中心部にありながら16世紀から400年以上にわたって、ポルトガルの
影響下で、独自の文化を築き上げたマカオ。古い街並みと建造物は「マカオ歴史市街地区」
として世界文化遺産に登録されている。1999年に中国に返還され、現在は特別行政区と
なり中国の資本主義地域としての新たな一歩を踏み出している。
マカオは中国本土とつながるマカオ半島と、タイパ島、コロアン島 コタイの4つのエリアからなる。
フェリーターミナルがあるのはマカオ半島。ここから街の中心・セナド広場までは歩いて20分ほど。
半島と島部は3本の橋でつながれて、バスやタクシーが行き来しています。




マカオ半島と島部の橋 タイパ島が見えています。




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